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大瀧詠一さんのこと [音楽]

大晦日に飛び込んできたニュースで、お正月気分もあらかた消し飛んでしまい、何か暗いものを抱え込んだまま過ごす年初になってしまいました。元日の朝に新年のご挨拶だけは記事にしたものの、そのあとが進まないままでいました。普通でしたら記事としては「この1曲」シリーズが入るところですが、やはり書いておかないと進まない気がします。

12月30日夕刻に大瀧詠一さんが亡くなったことを聞いたのは、31日のNHKラジオの7時からのニュースの中でです。すぐに思ったのは「司馬さんの時とおんなじだ」と言うことでした。司馬遼太郎さんが亡くなった時にも、同じように自宅で倒れた、ということをラジオで聞いたように思ったのでした。

司馬さんは以前のことで記憶はもうはっきりしていないのですが、印象として「同じ」だと感じたんだと思います。そのままNHK-FMをなんとなく聴いていたら、「夢で逢えたら」(たぶん吉田美奈子さんバージョン)が流れてきて驚きました。ニュースを知っていたのかどうか、番組の構成上決めていたのだと思いますが、本当にこのタイミングで、と切なかった。

大瀧さんの活動と作品の初期のもので思い起こすのは、はっぴいえんどの3枚のスタジオアルバムと、最初のソロアルバムの中でのことです。松本隆さん作詞の抒情あるいは個人的な印象を歌にしたような作品と、大瀧さん自身が詞を書いた曲とでの、作風と言うか世界の違い。これはどうして起こるのか、どこからやって来たものか、と思ったものでした。

松本さんが書いたものに共感がなければ、大瀧さんだって曲は書かないだろうし。でもご本人が作詞すると、どこかカラリとしていて、ある種の開き直ったような世界がありました。言葉遊びや曲のフレーズとのかけ合いや、語呂合わせ。午前0時は宵の口、午前三時は宵の喉。「宵の喉」っていうのは、見事だなと思ったものです。

のちに大瀧さんの趣味嗜好を知っていくにつれて、大瀧さん自身の持っている味はご本人の音楽志向から来ているものだ、ということがはっきり分かりました。当たり前のことですが、聴いていた音楽が大瀧さんの音楽を形成していたわけです。私は彼を通して50年代や60年代の「アメリカン・ポップス」のエッセンスを聴いていたことに気づいたのでした。

80年代に入って大ヒットアルバムが2枚続いたあとに、「(歌手としての)活動休止」を宣言して以来、ついにオリジナルアルバムは発表されないまま、大瀧さんは亡くなってしまったのでした。もっともプロデュース業、執筆やラジオ番組制作など、活動はしておられたわけですが、それも途半ばに終わることになってしまいました。NHK-FMでの番組、「アメリカン・ポップス伝」だって、まだまだ先は長かったはずでしたが、それもかなわぬことになりました。

月並みな言葉しかありませんが、やはり早すぎた死は残念でなりません。ミュージシャンとしては30歳代の半ばまでの活動とは言え、数多くの楽曲を残してくれましたし、その後の活動でもさまざまなことを教えてもらったと思っています。本当に残念ではありますが、心よりご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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