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大統領選の行方 [歴史]

いよいよアメリカ合衆国第45代大統領を選ぶ、選挙の投票日がやって来ています。日本のマスコミの注目度も高いのですが、これほどゴシップ的と言うか野次馬っぽい関心が払われているのは初めてじゃないでしょうか。挙げ句の果てに、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の中に予言があった、なんて騒がれ方までしています^^;。

米大リーグでのカブスのワールド・シリーズ制覇が、映画の中でネタとして扱われていたのですが、これが1年遅れながら的中したために、ほかのネタとして「似たもの」が大統領になっていた、という部分が「予言化」しているわけです。もっとも観測としてはクリントン候補がわずかに有利なようですので、これが当たる可能性はやや低いわけだけど。

このアメリカの大統領選挙は、なにしろ世界でもまれに見る選挙制度を取っていて、こんなややこしくて不思議な選挙はちょっとほかには無いでしょうね。しかも任期は4年間の大統領ですが、4年目は選挙そのもののために政治的に重要なことが行われにくい、ということを平然とやってのけています。ましてや大統領自身が2期目を目指している場合はなおさらです。

州ごとの選挙人の人数が(ほぼ)人口比で割り振られ、ある州を勝ち取るとその選挙人を「総取り」にしてしまう、なんて制度はちょっとほかにはありません。ここがほかの国の我々には分かりにくいところなんですがね。まぁ選挙の勝利は「その州の総意」として扱うってことだと理解してます^^;。

もし消去法を取るならどっちも消える、とか言ってた人もいましたけど、いろいろと話題に事欠かないふたりでもあります。私も無責任を許してもらえるなら、史上まれに見る分裂状態に陥りかけている共和党が、どんな「落とし前」をつけるのか見てみたい、というのもちょっと期待しています^^;。まぁそうならない方が無難にことが進みそうではありますし、合衆国史上初の女性大統領の可能性は高そうな気がしています。どうなりますでしょうかね^^。

スイスの飛び地 [歴史]

えーと、正確に言えば「スイスにある飛び地」または、「ドイツとイタリア、それぞれがスイス領内に保有する飛び地」ってことですね。スイスのバーゼルで男子テニスの大会が開かれていて、バーゼルってドイツ語圏だよねと思って調べてたら、飛び地の話が出てきました。ヨーロッパにはいくつか存在するのは知ってたんですが。

大きい方で有名なのは、カリーニングラード(旧ドイツ語名はケーニヒスベルク)でしょうね。百万都市に近い規模の大きな街です。第二次大戦時のドイツの軽巡洋艦にケーニヒスベルクという艦がありますが、当時ドイツ領だったこの都市の名前から命名されています。この級は3隻あるけど、後部主砲塔2基が中心線からずれて配置されているという、特異な設計になっています。成功したとは言えませんけど。

閑話休題。もっと小さな飛び地もあるわけですが、そのうちのふたつはスイスの領内に存在しています。スイスみたいな、政治的に、また防衛上からも特殊な国に、飛び地が存在しているというのが面白いな、と思った点です。そんなことがあるんだなぁと。ヨーロッパの歴史の中のいろいろな不思議は、面白いので大好きなんですよね。飛び地の話もそのひとつでしょうね^^。

追記:そうそう、そのスイス・インドアで、我らが錦織圭は、初戦を7-5、6-1のストレートで勝って、2回戦に進んでいます。怪我明けでちょっと心配でしたが、まずは順調な滑り出しでしょうか。

小松姫 [歴史]

ここ何年かはなかなか見ることも無かったNHKの大河ドラマなんですが、今年の「真田丸」はカミさんが見てみたいと言ったことと、私も興味深い題材だったので、録画して時間のある時にふたりで見ています。戦国末期の複雑な政治史的事情と、人間関係がどう描かれるかが面白そうだったので。

お話はワンクール(13話分)が終わってもなかなか進行していかず、未だ天正十四年(1586年)夏の九州攻め直前というあたりで、お話が始まって4年半ほどが経過したところです。最終的に慶長二十年の大坂夏の陣(1615年5月)がクライマックスであるとすれば、途中で描かれない「戦国の大事件」もありそうです。現時点でさえ「賤ヶ岳」や「小牧長久手」は一瞬も描かれてませんからね^^;。

さて先日の放送では、のちに真田信幸の正室となる小松姫(本多平八郎忠勝の娘)が登場しましたね。吉田羊さん演じるところですが、のちの夫の信幸を大泉洋さんが演じているので、「洋羊カップル」ということになります^^;。これってやっぱり意識的に脚本の三谷さんが配役してる気がしますけど、どうなんでしょうね^^。

先日調べていたら、小松姫は江戸時代初期に病を得て、湯治に出た旅の途中で亡くなっています。その亡くなった場所が私の街の隣のK市で(私の住んでいるのもK市なんですが)、墓所も隣のK市の寺にあるそうなんです。もっともお墓は3か所ぐらいに建てられているらしいのですが。なんだか近所に地縁があって、ちょっと驚いています。お話もこれからどうなって行くのか、楽しみにしたいと思います。

ワーテルローの戦いから200年 [歴史]

ナポレオンが戦いに破れ、最終的に退位する結果を招くワーテルローの戦いから200年が過ぎようとしています。一連の戦闘の総称として「ワーテルローの戦い」といわれてはいますが、最も大きな戦闘は1815年6月18日に起こっています。ただ、それに先立つ最初の散発的な戦闘は15日から始まり、16日からは本格的な衝突を繰り返し、18日の午後に最大の戦闘が行われています。

ちなみに「ワーテルローの戦い」の命名者は、イギリス軍(および協同して戦ったオランダ軍)司令官であったウェリントンです。ワーテルローの地は、戦場のイギリス側後方の地名で司令部が置かれていた場所なのですが、戦闘報告を贈る際に発音しやすい地名が良いだろう、と考えて実際の戦闘の場所からは離れていたけれど、重要であった地名を選んだということらしいです。

この戦いとナポレオンの退位ののちに、ウィーン会議では、フランス革命以前のヨーロッパの旧体制への復帰が決められますが、やがて動乱やいくつかの戦争を経て、100年後の第一次大戦へと至ります。歴史的に見て重要なことは、それまでは基本的には対立を続けていたイギリスとフランスが、多少の紆余曲折や意見の食い違いはあるものの、協調・協同して国際政治に対していくことになる点です。

やがて強大になっていくプロイセンと、その発展形であるところのドイツ帝国(1871年成立)への対抗や、ロシアへの牽制という理由からではありますが、この図式はそのまま第一次・第二次大戦にまで持ち込まれます。ワーテルローの戦いと、その結果によるフランス帝国の解体は、その後の百数十年間のヨーロッパ史の源流となっているわけです。それらのことも考え合わせると、この戦いは歴史の節目のひとつとして大変重要であったわけです。歴史の流れの不思議さをも感じることができると思います。

踏みとどまったスコットランド [歴史]

たまたま家にいたので、午後はスコットランドの住民投票の成り行きを横目で見ながら過ごしていました。結果としてはスコットランドの住民が、急激な変化を望まない選択をしたことになります。とは言え票数が接近していたことも確かで、報道されているようにいわゆるスコットランドの「裁量権」が拡大される方向に話し合いが進むことになります。

話題になっていたイギリスの国旗のデザインについても、とりあえず変更はなされないことになりました^^;。そのほかオーストラリアやニュージーランドをはじめとする、ユニオンフラッグを国旗に取り入れている国々の旗も同様です。カナダは国内の事情もあって、別なデザインに1965年から変えてましたから、無関係でしたけれど^^;。

それと一部では報道されていたけれど、合衆国ハワイ州の州旗も、変更される可能性があったかも知れないのですが、変わらなくて済むことになったわけです^^;。下はハワイ州の州旗。
hawaii_flag.png

どういうわけでユニオンフラッグがアメリカのひとつの州の旗に収まっているのか、ご興味のおありの方は検索してみてくださいね^^。しかし、元は独立のために戦った相手の国の国旗を、年月が経っているとは言え州旗の一部として認めているのは、やはり度量の大きさも感じますね^^。面白いものです。

スコットランドはいずこへ [歴史]

このところにわかに騒がしくなった「スコットランド独立」に関する話題ですが、18日に行われる住民投票の結果によっては、スコットランドが「UK」を離脱する可能性も含んでいます。ただ「いずこへ」とは言ってはみましたが、恐らくは英国内に留まることを選択するのではないか、と私は思っています。

リスクの方が大きすぎる、という判断になるのではなかろうか、ということなんですが、経済や通貨、外交など難しい問題がいくつかありますからね。ただ、実際に独立にまでは至らなかったとしても、スコットランドの自治権拡大に繋がる可能性は大いにあると思います。

そもそもスコットランドがイギリス(この呼称も少しあいまいですが)の一部になったのは、日本で言えば江戸時代。1603年のエリザベス1世の死去の際に、遺言としてスコットランド国王ジェームス(6世、イングランド国王としてはジェームス1世)を後継に指名したことによります。それまでにも両国の間には、いろいろないきさつはありますが。ちなみにエリザベスの父とジェームスの母が姉弟の関係にあります。

イングランド(とウェールズ、北アイルランド)とスコットランドが、とにもかくにも「統一国家」となったのは、1707年の合同からです。それに至る間の様々な出来事もいろいろありますが、なにしろ「他国から王を迎える」形になったが故の矛盾や軋轢もあったわけです。この間の約100年、イギリス史の17世紀は激動の時代です。

スコットランドの住民がどのような票を投ずるか、興味は尽きないのですが、少なくとも一部のマスコミが報道しているような「民族的な自治要求による独立運動」というのは、実状とは少し違っているようです。18日の投票結果を見守りたいと思っています。

もうひとつ、150周年 [歴史]

150周年と言っても、記念すべきという性格のものではありません。アメリカ合衆国の歴史上最悪の出来事のひとつ、南北戦争の勃発した年が1861年です。4月戦闘開始。終結は1865年ですが、人的被害の面からいえば合衆国が経験した最悪の戦いということになります。

アメリカの国内では、この戦いについて正面きっての議論は、いろいろと微妙な要素を含むらしくて、アメリカ人自身も語りにくい面があるようです。なにしろ当時の南部諸州だった州では、南軍の軍旗が「地域の伝統」としての意味を持つ、と主張する人たちがいます。現在でも州旗に取り入れられ、使われている例もあります。

日本史の面から考えても、南北戦争は明治維新に大きな影響を与えました。まぁ、その辺はいろいろあるんで、機会があれば書くかも知れません^^;。何しろ日本を開国させることに成功したのはアメリカだったのに、維新の両軍(幕府と薩長軍)にはフランスとイギリスがそれぞれ肩入れしていたわけですからね。アメリカは基本的には埒外だったという^^;。

この1861年という年は、世界的に大きな出来事が起こった年だった、ということで。話は少しずれますが、作曲家の大物としてはマーラーが1860年、ドビュッシーが1862年に生まれています。画家では、ミュシャが1860年に、クリムトが1862年に生まれています。作家では60年にチェーホフ、62年には鴎外とメーテルリンクとO.ヘンリが生まれています。なぜか61年は大物は誰も^^;。不思議ですね。

150周年 [歴史]

今年はイタリア統一150周年に当たるそうで、そう言えば19世紀後半に相次いで起きたイタリアとドイツの統一は、その後100年近くにわたるヨーロッパの歴史の基点のひとつになりました。一応第二次大戦の終結までをひとつの区切りとして考えれば、ですが。

イタリアという地域・領域は、ルネッサンスの時代にヨーロッパをリードしたあとは、一度も主役の座に坐ることなく、脇役を演じながら現代に至っています。日本の高校の歴史教科書での扱い方なんか、イタリアの統一なんて近代ヨーロッパ史の中の、ひとつのニュースネタ程度にしか出てきません。私個人としては、明治維新に多少の影響を与えてるんじゃないか、と思っているんですが。

このイタリア統一史の中の登場人物については、多少の感慨がありまして、書いてみたいこともあるのですが、それについてはいずれまた。しかし、「統一」という目的を果たしながらも、なんとなくそれぞれの地方・地域が独立性を維持している、というあたりがイタリアらしいと言えばイタリアらしいところです。日本と比べても、はるかに独自性を保っているという感がありますね。