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大岡信さんと加川良さんのこと [ひと]

同じ日に亡くなったからと言って、このおふたりを並べてどうするんだ、と怒られそうな気もしています。まったく違った活動をしていらしたおふたりで、生まれた年も違うし。ただおふたりともに私にとっては、それぞれ違った時期に強い印象を受けていたことがありました。同じ日に亡くなったことは、私にとっては不思議な何かを感じることなのです。

大岡信さんは、「80年代の現代詩の不毛の中の、一陣の清新な風」といった評を見たことがあります。どなたが言ってらしたのかは忘れてしまいましたが。たとえば大変有名な「地名論」という作品でも、言葉の音楽、構成の巧みさといったテクニックからの凄さを感じます。しかしそれ以上に作品の完成度、詩としての「落ち着き、たたずまい」と言ったようなものが、とても美しいと思っていました。

こんな風に書ければいいのにな、というある種の憧れのようなものも感じていました。もちろんそんな風に書けないからこその憧れであるわけですが。私の大好きな作家、丸谷才一さんとも仲がよろしかったようだ、という点も好ましいものでした。ほかの方も交えてではありますが共著もありました。

加川良さんは、その出世作とも言うべき歌の印象が強く、そして歌声の力強さもまた大変素晴らしいものでした。それこそ「こんな風な歌声を発することができたなら」と思わせられます。その歌声には、確かな独自性があって、一度聴いたら忘れない声をお持ちでした。

私見ですが高田渡さんからの影響を受けていらしたようにも思いますが、高田さんと同じように、一途に自己の世界を投影した歌の世界を作り続けていたという点で、やはり唯一無二の歌い手であったと思います。地道な活動を続けていくことを選び取った、ということなのだろうとも思えるのです。

おふたりともに、2017年4月5日没。大岡信さんは満86歳、加川良さんは満69歳で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

御一行1000人様御宿泊 [ひと]

1000人ぐらい、と言うことのようなんですけどね。はっきり何人と発表があるわけでも無いらしいので。まぁ憶測に近いものを無責任に書いてしまいますが、都内のホテルには御一行様およそ1000人が3泊4日でご滞在とのことのようです。ホテルも一か所じゃ足りないでしょうから、分宿ってことなんでしょうね。

移動のためにハイヤーなども確保してあるのだそうで、相当な額の出費になるようです。どっちが持つのか、折半なのかという下世話な話はさておき、受け入れる側もいろいろ大変でしょうね。お国柄もあるので、恐らく大部分の随員は男性であろう、というのはいくらか気楽なのかも。

もうひとつお国柄ということで、食べてはいけない食物などには気を使いそうです。もっともホテルは慣れてるんだろうな、そのあたり。いずれにせよ15日までの予定ということらしいので、都内各所は交通規制や警戒もありそうです。もしかしたら秋葉原あたりに買い物に来たりもするんだろうか。とすれば離日前日の14日とかはありそうな日なんだけど^^;。

Greg Lakeが亡くなりました [ひと]

すでに1週間ほどの日にちが経ってしまっていますが、King CrimsonやEmerson, Lake & Palmerのベース/ボーカルとして知られているGreg Lakeが亡くなりました。今年の3月にKeith Emersonが亡くなったと思ったら、ベースのグレッグも世を去り、エマーソン・レイク・アンド・パーマーはドラムスのCarl Palmerが残るのみとなってしまいました。

ELPという類まれなバンドは、キーボードのキースの存在が無くしては成立しなかったと思います。ただ、グレッグ・レイクのベース及びギターと、とりわけ彼のボーカルという要素も大変重要でした。キング・クリムゾンに在籍していた時も含めて、ボーカリストとしての貢献度は大変高く、抑制を効かせている時の美声プラス、声を張ったときのわずかに荒れる歌声がたいへん印象的です。

ELPではどちらかと言えばキース(とカール・パーマー)が躍動感と動的な音楽を形作るのに対して、グレッグは抒情的で静的な部分を形成して、バンド全体の音楽作りのコントラストができ上がっています。もちろんこのバンドは3人のメンバーが合奏している時のパワーが見もののひとつでもありましたけれど。

ベーシストとしての力量もそうですが、ギターを弾いている時の音色や変則チューニングを駆使した奏法は、このバンドの欠かせない魅力でした。ベースの音色は高音に張りがあり、低音も強く広がる特徴的な音を作っていて、個性になっています。ベースにしてもギターにしても、見事なピッキングがグレッグの演奏を際だたせています。

私は先日日曜の深夜にNHKの放送で、今年の9月に行われたプロムス(ロンドンの夏の音楽祭)のラストナイトを見ていた時に、終盤に演奏される何曲かの恒例の曲のひとつ、「エルサレム」の演奏と合唱を聴きながら、グレック・レイクのことを考えていました。

この歌をバンドのサウンドに乗せて、ソロ・ボーカルで歌うというアイデアは、グレッグから出たのか、あるいはキースからだったのかは分かりませんが、奇しくも同じ年の春と冬にふたりは逝ってしまいました。グレッグ・レイク、2016年12月7日、満69歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

7月26日と言えばミック・ジャガーの [ひと]

ミック・ジャガーの誕生日でしたね。彼はいくつになったんだっけ。1943年生まれだから73歳ですか。キースも同い年のはずですが、彼は12月だったっけかな。実は義理のいとこが(カミさんのいとこね)ミックと誕生日が一緒でしたから、以前からちょっと不思議な感じがしてました^^;。

60年代に登場してきたミュージシャンの多くは、第2次大戦中の生まれの人がかなりの数になります。特にヨーロッパは1939-45年ですからね、大戦中って。たとえばジョン・レノンは1940年の10月生まれで、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」の真っ只中です。9月中旬に一段落したとはいえ、まだ英国民は一段落していたことを知りませんでした。そんな時期。

ミックの生れた頃になると、大戦中ではあるもののいくらか状況は好転していて、少なくともドイツ軍が今すぐ上陸してくる心配はしなくて済んでた時期でしょうね。そういう時期に生れて、戦後に育っていって50年代の半ばごろからのロックンロールの台頭を、中学から高校生ぐらいに経験した世代なわけです。そりゃミュージシャンになるヤツも出てきますって^^;。などと時代に思いも馳せるミックの誕生日なのでございました。

永六輔さんのこと [ひと]

永六輔さんが7月7日に亡くなっていた、というニュースが入ってきました。放送作家として放送に関わり続け、作詞家として多くの歌を世に送り出し、文筆家としても活躍していました。私としては多くの作詞を手がけた、音楽面での活躍が一番印象的で、作曲家・ピアニストの中村八大さん、歌手の坂本九さんとのいわゆる「六八九トリオ」は名作を多く残しています。

特に「上を向いて歩こう」は、訳詞やカバーをされたわけでもなく、オリジナルの楽曲のままでビルボード誌での全米1位を3週続ける(1963年6月15日付から)、という日本の楽曲としては唯一無二の大記録をなしとげています。ただしタイトルはアメリカで知られている、ということなのか「Sukiyaki Song」に変更されてはいましたけど。

永さんの言葉で印象的なのは「角をひとつ曲がればそこは知らない旅先だ」といった要旨の言葉です。あるいは出演していた浅田飴のCM中での言葉だったようにも思います。私は写真を撮るために街歩きをしている時に、この台詞を時々思い出し、知らない街で知らない街角を曲がるときに、心の中で唱えたりしてました。

1985年に日航機の事故(いわゆる御巣鷹の尾根の墜落事故)で坂本九さんが亡くなり、1992年には中村八大さんも亡くなって、永さんは「俺ひとり生きてる」という旨の発言もしていました。なんのなんの、そう言いながらも著作でヒットを飛ばし、ラジオでも元気な声を聴けたりもしていましたが、近年はほぼ闘病を続けていた状態だったようです。2016年7月7日83歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

冨田勲さんのこと [ひと]

作曲家の冨田勲さんが亡くなった、という報せを聞きました。作曲家として1950年代の中盤からテレビや映画の音楽に深く携わり、70年代に入ってからは初期のシンセサイザー音楽を発展させ、大きな成功を収めた存在でした。1932年のお生まれということで、1930年代生まれのクラッシックの指揮者たちとも同じ世代であったわけです。

NHKの大河ドラマのテーマ作曲は5回を数え、現在のところ最多タイの回数なんだそうです。まぁ70年代までが多かったようですけど。「世界の」という枕詞がついてしまってからは、NHKもあんまり頼めなかった感じでしょうか。個人的には「勝海舟」のテーマが大好きですね^^。ダイナミックに展開して、メロディが高揚していくところが、いかにも歴史が開けていく時代を現していると思います。

アニメ作品では特に手塚プロの作品に多く関わっていますが、「ジャングル大帝」第一期のオープニングは史上に残る大傑作でした。雄大な映像と共に流れる音楽がたいへん印象的です。そしてこの作品では、エンディングの弘田三枝子の歌も冨田さんが担当し、さらに劇中でのミュージカル風のシーンの音楽も冨田さんが書いているのだそうです。大変な作風の広さを発揮していますね。

シンセサイザー時代には、単音しか鳴らないモーグの音を、アナログ録音で何度も重ねる手法で、厚みのある音を作り出しました。私としては「惑星」の中の特に「木星」が大好きです。この「惑星」では、冨田さんが作品の中にストーリーを織り込み、宇宙に飛び出した飛行士が「木星」の中間部のあのメロディの部分で、ついに人類史上初のファースト・コンタクトを果たすというものになっています。

ホルストの作曲した「惑星」には、このストーリーがあるわけじゃ無いのだけど、冨田さんはその中に物語を感じたんだと思います。そしてファースト・コンタクトを果たした直後に、飛行士は宇宙嵐に巻き込まれて、宇宙を彷徨うはめに陥ってしまう、というように物語が続いていきます。トータル・アルバムとしても傑作であると思っています。

お年を召してからも創作は続いていましたが、特に2012年に初演された大作「イーハトーヴ交響曲」では、VOCALOIDの初音ミクを起用する、という手法も取っています。新しいものも柔軟に取り入れていく発想力は、衰えることはありませんでした。初演時の演奏を聴いたときに、ああ、人間の声が大好きな冨田さんが、ミクの声も気に入ってくれたんだな、と思った記憶があります。2016年5月5日、満84歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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松原正樹さんが亡くなられました [ひと]

ギタリストの松原正樹さんが2月8日に亡くなっておられた、という報道が10日に流れました。亡くなるほどの年齢ではなかったはず、といういつも感じることを、またしても思ってしまいます。青山純さんの時もそうでしたが、長く闘病しておられたなどと言うことは、一般には伝わっていないのが普通ですから、やはり急なこととして驚いてしまいます。

本当はその事だけで語るべきでは無いのだろうと思うけど、やはり私としてはユーミンこと松任谷由実さんのアルバムでの演奏のことを思ってしまいます。とにかくクレジットをたどってみれば、1976年の「14番目の月」(まだ「荒井」時代の4枚めのアルバム)に登場してから、1997年の「Cowgirl Dreamin'」に至る20年間余りにわたって名前が記されています。

演奏に加わった曲数は、アルバムごとに違ってはいるはずですが、とにかくアルバム25枚に連続してクレジットされているのです。1997年暮れの「スユアの波」にはクレジットが無く、ついに連続は途切れるのですが、その後に発売されたアルバムにも、演奏は収められていて、縁の深さを知ることができます。

もちろん松任谷由実という作り手は、曲ごとにサウンドを選びますから、そのすべてに関わっているわけではないとは思います。どちらかと言えば彼女としては少しハードな、ロックに寄った音作りの時に松原さんのギターが響くのだと思います。

そしてあまりにも有名ですけれど、恐らく最も知られているのは1980年の「SURF & SNOW」の中の1曲「恋人がサンタクロース」のギターソロでしょう。ソロだけではなくて、この曲はイントロからギターが前に出ていて、曲全体でボーカルに絡み続けています。このギターが無ければ、この曲の印象が一変してしまうはずです。

ほかのアルバムでも、1曲は「ロックテイスト」な曲が含まれていて、その中で松原さんのギターが聴けます。もちろんアルバムにクレジットされているだけで、どの演奏が彼なのかは明記されてはいませんが、恐らくこういう時のこの音、という想像は大きく外れてはいないと思います。まぎれもなく彼の音の個性が感じられるからです。満61歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
タグ:松原正樹

デヴィッド・ボウイさんが亡くなりました [ひと]

11日の夕刻のことでしたか、私は仕事中でしたが、デヴィッド・ボウイさんが亡くなったというニュースがラジオから流れてきました。まだ亡くなるというほどの年齢じゃないよね、と思っていると闘病ののち、という声が続いて聞こえました。アルバムが出たばかりだよね、とも思いました。8日にニューアルバムが、とニュースが伝えます。まったく人の思考が読めるのかよ、と思いながら、彼の音楽のことを考えていました。

特に熱心に聴いていたわけではありませんし、系統立ててデヴィッド・ボウイの音楽を知っているわけでもありません。映画での彼を少し前に見たばかりだっけ、とは思いましたが。「戦場のメリークリスマス」が放映されていましたからね。そこでの彼はそれこそ「絵に描いたような」いい男っぷりで、西欧人の「ハンサム」のひとつの典型が、そこに生きていると感じました。

思えば「演じる」ことはデヴィッド・ボウイにとってのスタートラインでもあったわけです。つい先日萩原健太さん、近田春夫さんのおふたりは、ラジオ番組の中で「デヴィッド・ボウイってある種の「ペルソナ」を押し立てて、それを演じることで音楽活動を確立したわけだよね」という趣旨のことを述べておられました(聴き書きですし、もし不正確であれば申しわけないのですが)。私はまったくそのとおりだよね、と思ったものでした。

番組の中では、そののちに現れたロック界の中の様々な「ペルソナ」にも話題が及んでいましたが、その先駆者はデヴィッド・ボウイであったわけです。影響は音楽やファッションのみならず、遠く日本の少女マンガにも及んでいます(何人かの作家さんが好きだと言っておられたはず)。作中に似たキャラを描いたり、歌詞に基づいた台詞を言わせたりとかね。

おととしのことだったか、いや新年を迎えたのだからすでに3年近く経ったことになるわけですが、新しいアルバムが出て、ちょっと唐突な印象を受けました。「唐突」という言葉は不適切な気もしますが、しばらく音沙汰を聞いていないように思いましたから。思えば彼は自分の死の可能性を見つめて、新たに活動を開始したということだったのかも知れません。

報道では「18か月の闘病」と書かれてはいますが、その少し前から自らの病気については知っていたのではないでしょうか。そして今年が明けて早々の誕生日に最新アルバムをリリースしたと思ったら、2日ののちに世を去っていってしまいました。アルバムタイトルが「Blackstar」だなんて、それこそ・・・どうしたらいいのか。

あるライターの方の文章によれば、デヴィッド・ボウイの死が報じられたイギリスでの10日の朝、イングランド南部は大変な大雨になっていたそうです。天候は関係ないのかも知れませんが。でもイングランドでニュースを聞いた人の中には、雨が心の中にも降りだしたように感じた人もいたことでしょう。2016年1月10日、満69歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

ピエール・ブーレーズさんのこと [ひと]

1月5日に作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズさんが亡くなった、というニュースに接しました。私は「作曲家」としての仕事について書く資格を持っていないように思います。代表的な作品を聴いていても、あまり具体的な何かは湧き上がってこないのです。音楽とは、聴く者の心に何らかを構築/醸成/展開するものだ、と言うのなら、私の心はあまり反応してくれないのです。「分かってない」ということなのかな^^;。

指揮者としての彼についてなら、書けることはあると思います。CDも何枚かは持っていますし。ストラヴィンスキーのバレエ三部作、とりわけ「ペトルーシュカ」についてはクリーブランドとの新録音の方は、好きだと言っていいものです。1911年版(と思われる)での演奏だという点も嬉しいところです。「祭典」と「火の鳥」も聴くときには最初に候補になります。

でもほかの作曲家の作品、たとえばマーラーの交響曲はあまり買っていないし(評価していないという意味では無くて、文字通りCDを持っていないという意味です^^;)聴いてもいないかな。5番は持ってたように思いますが。私としては、ブーレーズという人はもしかしたら「指揮する」ことがあまり好きでは無かったんじゃないか、という疑いを持っています^^;。好きじゃないというか本意ではないと言うか。

自分の作品を演奏する分には、それは他人に頼むよりは遙かに信頼がおけるでしょうけどね。自分ですから。でもそれ以外の、いわゆる「演奏活動」としての指揮には、実はあまり重きをおいていなかったのではないか、と思うのです。それでもバイロイトに出演したり、オーケストラの常任をこなしたり、数々のレコーディングを行ってはいますが、結局は自分ご自身は「作曲家」なのだという気分だったんじゃないのかな、と。勝手にそう思っているんですよね。

ここ数年間はあまり活動らしい活動もしていなかったようで、やはり半ばは引退状態であったという気がします。指揮者としては60年代から90年代までが盛んに活動していた時期で、その間のレコーディングも多く、まとまった形でCDも入手することができます。マーラーの全集は、けっこう新しい方の録音になりますし、楽しんで聴けそうかな、と思っていますので手が出るかも知れません。満91歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

ノーベル賞と日本人 [ひと]

あんまり大それたお話なのではありませんよ^^;。今年もノーベル賞の季節が巡ってきたなぁ、という感慨もあるのですが、日本人が受賞しない年はほとんど話題にもしないのに、受賞者がいる年は猛烈に盛り上がるのは、マスコミの「らしい」ところだなぁ、とも感じます^^;。

あとは毎年「候補」のように話題になっている、あの方の話題も取り上げられるでしょうね。今年はどうなるのでしょうか。前にもちょっと書いた気もしますが、ノーベル賞の文学賞と平和賞は、わりに恣意的にメッセージを込めた選定の仕方をしているみたいですから、平和を享受している日本に賞が来るのかどうか^^;。

同じ年に違う部門の賞を日本人が貰うのは、これで3回目(2002年、2008年に続き)ですね。物理学賞と化学賞の組み合わせで2回だったんですけど、今回は初めて生理学・医学賞と物理学賞という組み合わせです。7日以降も発表がありますが、もしほかの部門での受賞者が出れば、日本としては初めての3部門(以上)の同時受賞になります。

それとあんまり言われていないみたいなんで書いておきますが、ノーベル賞の受賞は昨年に続いてのことで、2年連続で複数の日本人が受賞するのは、初めてのことなんですよね。これまで受賞は3年連続の例がありますが(3年目はふたり貰っていて、都合3年連続4人)。まぁ記録としてなかなか凄いことじゃないかな、ということでございます。発表は日本時間の夕方近くですから、明日からも夕刻のニュースに注目でございます^^。
タグ:ノーベル賞